ろばの子のように

「二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」マルコ11:7

聖書は、大きく分けて旧約聖書と新約聖書に分かれています。

新約聖書はイエス・キリスト様のことについて書かれていますが、旧約聖書は、イエス様がお生まれになるずっと前に書かれたもので、救い主は、どのようなお方なのか、どのようにして来られるのか、そして、どのようにしてわたしたちを救ってくださるのか、救いの預言が書かれています。

今日は、イエス様がお生まれるになる五百年くらい前に預言された言葉についてお話しします。その預言はゼカリヤ書9章9節です。

「エルサレムの住民は、大いに喜びなさい。

 さあ、あなたの王が、おいでになる。

 この方は正しい方で、救いを持っておられ、

 柔和で、ろばに乗り、

 それも、雌ろばの子に乗って来られる。」

救い主は、ろばの子に乗ってこられるという預言です。

 

この預言から時は流れて、イエス様が十字架にかかられる五日前の日曜日のことです。パームサンデーと呼ばれています。

イエス様の一行がエルサレムに近づき、オリーブ山のふもとにあるベトファゲとベタニアという村ににさしかかったときのことです。イエス様が二人のお弟子さんにおっしゃいました。

「向こうの村へ行きなさい。村に入るとすぐ、まだ誰も乗ったことのない、ろばの子がつないであるのを見つけるだろう。それをほどいて、連れてきなさい。もし誰かが、『なぜ、そんなことをするのか』と言ったら、『主がお入り用なのです。すぐに、またここにお返しになります』と言いなさい。」

そこで二人のお弟子さんが、早速出かけてみるとすぐに、表通りにある家の戸口に、ろばの子がつないであるのを見つけました。そして、イエス様がおっしゃった通りに、それをほどくと、そばに立っていた何人かが言いました。

「ろばの子をほどいたりして、どうすんだ。」なんだか怒っているみたいです。

お弟子さんたちが、イエス様がおっしゃった通りに「主がお入り用なのです。すぐに、またここにお返しなります」と話すと、彼らは許してくれました。

 

イエス様がおっしゃった通りになりました。びっくりです。イエス様は、すぐにろばが見つかることや「主がお入り用なのです」というと、すぐに許してくれることをお見通しでした。これは、イエス様が神の子としてのキリスト、旧約聖書で預言されている救い主であることの、しるしの一つです。

引用:アトリエTrinityより
引用:アトリエTrinityより

二人のお弟子さんたちは、ろばの子を引いて、イエス様のところに連れてきました。そして、自分たちの服をかけると、イエス様はそれにお乗りになられました。

すると、多くの人々が自分の服を道に敷き、野原から切ってきた木の葉を枝ごと道に敷きつめました。

そして、イエス様と一緒に行進しながら、みんな叫んで言いました。

「ホサナ」。元々の発音は「ホーシアーナー」です。

「ホーシアーナー。

 主の名によって来られる方に、

   祝福があるように。

 我らの父ダビデの来るべき国に、

   祝福があるように。

 いと高きところにホーシアーナー。」

 

「ホーシアーナー」という言葉は、「今、救ってください」という意味です。「万歳」という意味もあります。「我らの父ダビデの来るべき国」は「救い主イエス様によって実現した、神の国」のことです。

「万歳。主のお名前によって来られる方に、祝福があるように。

 救い主イエス様によって実現した神の国に、祝福があるように。

 神様。万歳。」

「ホーシアーナー、お救いください。ハレルヤ、万歳、主に栄光があるように!」

 

このように群衆の絶叫に包まれて、イエス様はエルサレムに入られました。そして、神殿の境内に入り、辺りの様子を見て回ってから、もう夕方になっていましたので、十二人のお弟子さんたちと一緒にベタニア村に戻って行かれました。

 

今日の御言葉は、7節です。

「二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」

 

五百年に預言された言葉が実現しました。

「エルサレムの住民は、大いに喜びなさい。

 さあ、あなたの王が、おいでになる。

 この方は正しい方で、救いを持っておられ、

 柔和で、ろばに乗り、

 それも、雌ろばの子に乗って来られる。」(ゼカ9:9)

 

イエス・キリスト様の地上における最後の週は、ろばの子に乗り、柔和な方、従順と受難の王、平和の君、新しい神の国の王として、エルサレム入城によって始まりました。群衆は信仰告白と、証しと、賛美の絶叫を以って、熱狂的に歓迎しました。

このときくらいは、イエス様は立派な馬に乗っても良かったと思います。

でもイエス様が選ばれたのは、ろばの子でした。あまり格好の良いものではありません。しかし、それは平和の象徴、柔和で心優しいものの象徴です。イエス様がろばの子に乗ってエルサレムに入られたのは、五百年前に預言された旧約聖書の言葉を実現するためです。格好つけるわけでもなく、見栄を張るのでもなく、ただ御言葉に従われたのでした。

 

ろばの子は、イエス様をお乗せして、一生懸命に歩いたと思います。それまで、誰も乗ったことがなかったのですから、最初はろばの子もびっくりしたと思います。でも、ろばの子は自分の背中に乗ったお方が、主であることがすぐにわかりました。ですから、ろばの子も頑張って、一歩一歩、前に進みました。

 

イエス様も、威厳ある王様のように胸は張っていなかったと思います。鞍もつけずに、服をかけただけでろばの子に乗っていましたので、堂々と胸は張れなかったと思います。

背中を丸くして、きっとはにかむような笑顔、柔和な笑顔であられたと思います。

 

この、やさしい笑顔のイエス様は、神様から与えられた働きを、今日も、ろばの子の背中に委ねておられます。

わたしたちも、ろばの子のようにちいさい者かもしれません。立派な王様でも将軍でもありません。見栄を張ることも、格好つけることもありません。

イエス様をお乗せして、一生懸命に歩いたろばの子のように、イエス様から委ねられた働きを一歩一歩果たして行きたいと思います。


教案:日本キリスト教会日曜学校2018.3.4

聖書箇所:マルコによる福音書11:1-11

御言葉:マルコ11:7

「二人が子ろばを連れてイエスのところに戻って来て、その上に自分の服をかけると、イエスはそれにお乗りになった。」

イラスト引用:アトリエTrinity