人生は死では終わらない

「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」マルコ5:39

イエス様が、舟でガリラヤに戻ってこられると、大勢の群衆がそばに集まってきました。イエス様が、まだ浜辺におられるとヤイロさんがやってきました。ヤイロさんは、イエス様を見つけるとすぐに、イエス様の足下にひれ伏しました。そして、泣きそうな声で、しきりに願って言いました。

「あぁ、イエス様。わたしの小さな娘が死にそうです。どうか、うちにおいでくださって、娘の上に手を置いてやってください。そうすれば、娘はきっと助かります。」

 

ヤイロさんは会堂長をしていました。会堂長といえば、当時かなりの有力者で、長老の中から選ばれた最高に偉い人でした。その頃のユダヤ人社会の牧師のような働きをしていたんです。

そのヤイロさんが、イエス様の足下にひれ伏しました。イエス様の前に土下座をしたんです。こんなに偉い人が、、、普通だったらできません。

「わたしの娘は、今にも死にそうだけれども、イエス様だったらきっと娘を助けてくださる。人の力では、もうどうしようもない、あとは娘が死ぬのを待つしかない。」

ヤイロさんは、イエス様だったら、娘さんを助けてくださると信じていました。ヤイロさんにとって、イエス様は最後の望みでした。そのイエス様に助けて頂くために、多くの人がいる前で、恥も外聞も捨てて、土下座をしてお願いしたんです。

イエス様は、そんなヤイロさんの願いを聞き入れて、すぐにヤイロさんの家に向かわれました。

 

ところが大勢の群衆も、イエス様に押し迫ってきて、なかなか前に進むことができません。ヤイロさんの娘さんが今にも死にそうになっているのに、イエス様は群衆の中に巻き込まれてしまいました。

ヤイロさんは、気が気ではありません。

「ああ、こんなにモタモタしていると娘が死んでしまう。どうすればいいんだ。早く家に帰らなくては、大変なことになってしまう。」

ヤイロさんは焦ってきました。

 

そんな時に、さらに足止めされる出来事が起こりました。

十二年もの間、病気で苦しめられてきた女の人が登場してきます。詳しいことは先週の教会学校でお話しされましたね。その女の人は「イエス様の服に触ることでもできれば、きっと治していただける」。そのようにイエス様を信じて、イエス様の服に触りました。すると、その女の人の病気は、たちどころに治ったんです。

その女の人にイエス様はおっしゃいました。

「娘さん。あなたの信仰によって、神様があなたを治してくださったのです。さあ、安心してお帰りなさい。これからは、病気にかからず、元気でいなさい。」

 

ちょうどその時です。ヤイロさんの家から使いの人がやってきて、言いました。

「お嬢様は亡くなられました。もうこの上、先生を煩わすには及びません。」

あぁ、なんということでしょうか。ヤイロさんの予感は的中しました。

娘さんは死んでしまいました。

イエス様だったら死にそうになっている娘を助けてくださる。そんなたった一つのわずかな望みさえ断たれてしまいました。万事休すです。

ヤイロさんは、目の前が真っ暗になり、愕然としました。

まるで、真っ暗闇ただ中に、自分ひとりだけ。周りには何もなく、何も見えない。ヤイロさんは、これ以上ないほどの孤独感に襲われ、激しい恐れを感じていたと思います。

 

真っ暗闇のただ中にいたヤイロさん。

そのヤイロさんに一筋の光が差し込みました。

「恐れることはない。ただ信じなさい。」

イエス様のお言葉です。

 

死に対する恐怖とおびえ、恐れることをやめなさい。恐れる必要はありません。ただ信じなさい。

この時のヤイロさんにとって、イエス様のお言葉は、最後の最後の、最後の希望だったと思います。

「恐れることはない。ただ信じなさい。」

そうおっしゃったイエス様は、ペトロとヤコブ、そしてヤコブの兄弟ヨハネの三人だけを連れてヤイロさんの家に行きました。

 

ヤイロさんの家に着くと、亡くなった娘さんを悼んで、人々が大声で泣いたり、わめいたりして、取り乱していました。

するとイエス様は中に入っておっしゃいました。

「なぜ泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」

 

「ハッ? 眠っている? 誰が見たって、子供は死んでいるじゃないか。何を言ってるんダ?」

娘さんが本当に死んでしまっていることを知っている人々は、イエス様をあざ笑いました。

しかし、イエス様は、そのような人たちを外に出し、その子の両親と、三人のお弟子さんたちだけを連れて、子供のいるところへ入っていかれました。

そして、その子供の手を取り、おっしゃいました。

「タリタ、クミ」

 

「タリタ、クミ」。これは「娘さん。さあ、起きなさい」という意味です。

すると何ということでしょうか。娘さんはすぐに起き上がり、歩き始めました。娘さんは十二歳にもなっていたので、歩けたのです。それを見た人たちは、あっけにとられました。「えっ、死んでいた女の子が、、、起きて、、、歩いた?」

もう、言葉になりません。

 

イエス様は、このことを誰にも話さないようにと、厳しく命じられて、娘さんに食事をさせるようにおっしゃいました。

 

今日の御言葉は、マルコによる福音書5章39節です。

「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」

 

イエス様は、誰が見ても死んでいる女の子を見て、「死んだのではない。眠っているいるのだ。」とおっしゃいました。

そうです。イエス様を信じるわたしたちにとって、死は、もはや死ではありません。

「死は勝利にのまれた。

 死よ、お前の勝利はどこにあるのか。

 死よ、お前のとげはどこにあるのか。

 死のとげは罪であり、罪の力は律法である。

 しかし、神様に感謝すべきだ。

 神様は、わたしたちの主イエス・キリストによって、わたしたちに勝利を与えてくださった。」(1コリ15:54-57)

 

死のとげは復活によって粉砕されました。死は眠りとなったんです。

イエス様が復活によって死を征服されたので、今や、死は眠りとなりました。死は絶望ではありません。人生は死では終わらない。死人は再び目をさます時が来ます。

 

目を覚まさないものではなく、永遠の命に目をさますものにしていただきたい。そのためにこそ、与えられているイエス様の救いを、喜んで受け取りたいと思います。

YouTube


教案:日本キリスト教会日曜学校2018.2.4

聖書箇所:マルコによる福音書5:35-43

御言葉:マルコ5:39

「なぜ、泣き騒ぐのか。子供は死んだのではない。眠っているのだ。」