思い悩むな

「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。」マタイ6:32

 

わたしたちは、一人ひとり、それぞれに、よく思い悩みます。

明日の仕事では、とても大切な取引がある。うまくいくだろうか、うまくいかなかったらどうしよう。

あした、テストがあるぞ。いい点数が取れるかな。零点だったらどうしようか。

明日の試合に勝てるだろうか、チームワークは大丈夫だろうか。

 

このように、人生には、色々な悩み、様々な心配事があります。

一人ひとり、それぞれ、違った悩みがありますが、イエス様は、その中で、一番基本的なものとして、生きていくために必要な食べるもの飲むもの、そして、着るものをどうするか、という問題を通して、わたしたちにどうすればよいか教えてくださいました。

 

イエス様は、このようにおっしゃいました。

「だから、言っておく。自分の命のことで何を食べようか何を飲もうかと、思い悩むな。また自分の体のことで何を着ようかと、思い悩むな。」(25節)

 

「だから、言っておく」と、イエス様は話し始められました。

これから話すことは、とても大切なことなので「注意して、よーく、聞いておきなさい」。

あなたがたは、何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことを心配してはいけません。

また何を着ようかと、自分の体のことを心配してはいけません。

 

イエス様は、なぜ、このように思い悩むな、心配するなとおっしゃっているのでしょうか。

それは、命は食べ物や飲み物よりはるかに大切だからです。

ですから、自分の命のことで何を食べようか、何を飲もうかと、思い悩むな、心配するなとおっしゃられているんです。

また、体は着るものより、はるかに大切だから、自分の体のことで何を着ようかと、思い悩むな。心配してはいけない、とおっしゃられています。

そのことを、空の鳥と野の草を見て、信仰とは、どのようなものかを学びなさいと、お言葉を続けられました。

「空の鳥を、よーくよく見なさい。

 種まきもしないし、刈り入れもしません。倉に納めることもしません。

 それなのに、あなたがたの天のお父様は鳥たちを養っておられます。

 あなたがたは鳥たちよりも、もっともっと優れたものではありませんか。

 あなたがたの中で、だれが心配したらかといって、自分の寿命を少しでも伸ばすことができますか。」

 

さらにこのようにおっしゃいました。

「どうして着るもののことなどを心配するのですか。

 野の花がどうして育つのか、じっくりと考えて見なさい。

 野の花は、働きもしないし、自分のために服を作りもしません。

 それなのに、あれほどの栄華を窮めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾っていませんでした。

 今日は咲いていても、あすは炉に投げ入れられるような野の草でさえも、神様はこれほどに美しく装ってくださっています。

 まして、あなたがたに、それ以上のことをしてくださらないわけがあるでしょうか。

ああ、なんと信仰の薄い者たちよ。」

 

ですから、心配することはありません。思い悩むことはありません。

何を食べるか何を飲むか、また何を着るか。こういうものはみな、天のお父様を知らない人たちが一生懸命に求めているものです。

イエス様を信じて天のお父様の子どもとされたわたしたちには、これらのものがみな、わたしたちに必要であることを、天のお父様は、よーく知っておられます。

ですから、わたしたちは、食べるもの飲むもの、着るもので、思い悩む必要はありません。

 

では、わたしたちは何もしなくてもいいんでしょうか。

イエス様はこのようにおっしゃられています。

「何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。そうすれば、これらのものはみな加えて与えられる。だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。」(33、34節)

 

イエス様は、まず第一に、神の国と神の義を求めなさいとおっしゃられています。

明日、何を食べようか、何を飲もうか、明日、何を着ようかと心配しなくていいから、何よりもまず、神の国と神の義を求めなさい。

 

それでは、神の国と神の義を、まず第一に求める生き方とはどのようなものでしょうか。

それは、イエス様を救い主と信じる信仰と愛で、父なる神様のしあわせ、自分のしあわせ、そして隣人のしあわせのために、一生懸命に生きることです。

空の鳥は、種まきもせず、刈り入れもせず、倉に納めることもしません。でも今日、たった今、食べるものを、一生懸命に探して生きています。

わたしたちも、今日、たった今という時を大切にして、父なる神様のしあわせと、自分のしあわせと、そして隣人のしあわせのために、一生懸命に生きる。

その信仰と愛の取り組み、努力には、必ずついてくるものがあります。

結果があります。

その日、その日を一生懸命に生き、その日、その日の苦労を怠らなければ、一生懸命働けば、最善を尽くして生きて行けば、心配は全くありません。天のお父様は、子どもであるわたしたちを養ってくださいます。

 

今日の聖書箇所を一緒に読んでみましょう。

「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。」

 

「天にいらっしゃるあなたがたのお父様は、衣食住があなたがたに必要なことぐらいはよくご存知です。」(現代訳)

ですからわたしたちは、明日のことをどうしようかと思い悩むことをやめましょう。明日のことを思い悩むのではなく、今日、たった今という時を大切にしましょう。天のお父様のしあわせのために、自分のしあわせのために、そして隣人のしあわせのために、今日を大切にして、今を一生懸命、最善を尽くして生きて行きたいと思います。


教案:日本キリスト教会日曜学校2017.04.30

聖書箇所:マタイによる福音書6:25-34

御言葉:マタイ6:32

「あなたがたの天の父は、これらのものがみなあなたがたに必要なことをご存知である。」